橋立金山エリア
糸魚川最大の金鉱山跡
橋立金山の坑口・精錬所跡やジュラ紀の化石があります。橋立金山は、越後の戦国大名、上杉謙信が採掘していたと伝えられる金山であり、産金量が約1.2トンでした。そのうち、1898(明治31)年~1905(明治38)年の最盛期には、846kgの金を生産し、約1,000人の鉱山関係者が働いていました。めまぐるしく変わった鉱業権者の中には、重機メーカーのコマツや早稲田大学理工学部の創始者竹内明太郎もいました。
1903(明治36)年、水力発電所が建設され、糸魚川で最初の電灯がともったところでもあります。青海川支流金山谷、長尻谷、阿曽谷に囲まれた尾根部が鉱脈の集中していたところで、いくつかの坑口が見学できます。また、地形の平坦部では、鉱山事務所・精錬所の建物跡を偲ばせる石垣が残り、鉱石の精錬に使った石臼も残っています。

ひとくち情報
【橋立上路線】
*橋立~大平峠 通行可能
*大平峠~山姥線分岐 通行不可(災害復旧工事のため)
*山姥線分岐~上路 通行可能(上路地区から坂田峠まで通行可能)
【金山線】
橋立金山精錬所へのアクセス路は、土砂崩れ等で通行止めとなる場合があります。見学の際は、事前に糸魚川ジオパーク協議会にご確認ください。また、山道を1時間程度歩きますので、ガイドの同行をおすすめします。
【橋立金山】
◇戦国時代に上杉謙信も採掘したと伝わる金山。明治30年代に最盛期を迎えました。金鉱採掘の坑口と精錬所跡(石垣等)が、当時の名残を伝えます。