1.「ふるさと」詩碑
相馬御風 (本名相馬昌治)は、1883(明治16)年、新潟県糸魚川市に生まれました。早稲田大学を卒業した御風は、文芸評論や作詞の面で活躍したくさんの名曲の作詞を手がけました。市内には、御風が生前暮らしていた住居があり、見学することができます。
糸魚川に戻った御風は、短歌結社「木蔭会」を結成して郷土の歌人の育成にも努めたほか、文芸雑誌「野を歩む者」を通じて、ふるさとの自然を讃え愛しんでいます。この場所にある詩碑は、相馬御風が敗戦後にふるさとに帰った兵士の気持ちを読んだものです。
2.奴奈川姫とヒスイ
3.勾玉のモニュメント
4.ヒスイの玉とヒスイロード
5.いとよ広場と糸魚川の由来
いとよ広場にはベンチがあり、休憩しながらヒスイを見ることができます。この広場につけられた「いとよ」から、糸魚川の由来を考えてみましょう。
糸魚川の由来と聞くと、糸魚川という川を想像するかも知れませんが、市内に糸魚川という川はありません。では、なぜ糸魚川という地名になったのでしょうか。一説には、駅前にあった川にトゲのある淡水魚「糸魚(イトヨ)」住んでいたことから、糸魚川と呼ばれるようになったとも言われています。
6.雁木通りと加賀のお殿様
7.ヒスイの勾玉
8.石のまち糸魚川
海望公園横の遊歩道沿いに、糸魚川で見られる石が時代ごとに並べられています。近くの押上海岸に行くとさまざまな模様や形の石を見ることができるでしょう。ヒスイ以外の石にもすべて名前があり、おもしろいストーリーがあります。糸魚川市は2019年に「石のまち糸魚川」の活動をスタートさせ、糸魚川の石を全国にPRしています。
9.奴奈川姫と建御名方命
10.展望台と糸魚川の山々
11.糸魚川大火の爪痕
糸魚川の中心市街地は2016年に大きな火災に見舞われました。糸魚川地形が関係した強い南風により多くの家屋が延焼しましたが、消防や警察、住民の協力により死者は出ませんでした。
北越銀行糸魚川中央支店脇にあるこの標柱は、この大火の影響で黒く焦げ惨状を物語っています。付近には、大火からの復興を後押しするために、糸魚川駅北広場「キターレ」があります。