糸魚川駅前ヒスイロードコース

奴奈川姫に勾玉、そしてヒスイ。糸魚川駅前にある糸魚川の宝を発見しよう。

1.「ふるさと」詩碑

 相馬御風 (本名相馬昌治)は、1883(明治16)年、新潟県糸魚川市に生まれました。早稲田大学を卒業した御風は、文芸評論や作詞の面で活躍したくさんの名曲の作詞を手がけました。市内には、御風が生前暮らしていた住居があり、見学することができます。

 糸魚川に戻った御風は、短歌結社「木蔭会」を結成して郷土の歌人の育成にも努めたほか、文芸雑誌「野を歩む者」を通じて、ふるさとの自然を讃え愛しんでいます。この場所にある詩碑は、相馬御風が敗戦後にふるさとに帰った兵士の気持ちを読んだものです。

相馬御風宅

2.奴奈川姫とヒスイ

 「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」は日本最古の歴史書である古事記や出雲風土記などに登場する高志国(こしのくに)(現在の福井県から新潟県)のお姫様です。

 古事記には出雲国(今の島根県)の大国主命(おおくにぬしのみこと)が奴奈川姫に求婚に来たことが記されており、市内ではそれにちなんだお祭りも開催されています。

 奴奈川姫がヒスイを持っていたという記述はありませんが、奴奈川姫の像の隣には、淡い緑色のヒスイがくだけたように見える、糸魚川市小滝産のヒスイが置かれています。

3.勾玉のモニュメント

 ブロンズ製の勾玉(まがたま)のモニュメントです。勾玉はCの字型に湾曲した形をしていますが、一説によれば胎児の形をイメージしているとも言われています。

 日本国内では、縄文時代から勾玉が作られ始め、弥生~古墳時代になるとヒスイをはじめさまざまな石材が勾玉の材料として利用されました。

4.ヒスイの玉とヒスイロード

 糸魚川駅から日本海にかけての商店街はヒスイロードと呼ばれています。古代の人々は,ヒスイに不思議か力があると信じ、ヒスイを玉として加工してアクセサリーとしていました。実際にヒスイの英語名であるジェード(Jade)は、「腰の痛みを治す石」という語源があります。

 ヒスイロードには、ヒスイの玉や勾玉、奴奈川姫の像などがあり、訪れる方を楽しませています。

5.いとよ広場と糸魚川の由来

 いとよ広場にはベンチがあり、休憩しながらヒスイを見ることができます。この広場につけられた「いとよ」から、糸魚川の由来を考えてみましょう。

 糸魚川の由来と聞くと、糸魚川という川を想像するかも知れませんが、市内に糸魚川という川はありません。では、なぜ糸魚川という地名になったのでしょうか。一説には、駅前にあった川にトゲのある淡水魚「糸魚(イトヨ)」住んでいたことから、糸魚川と呼ばれるようになったとも言われています。

糸魚川の由来

6.雁木通りと加賀のお殿様

 商店街を通る本町通りでは、美しい雁木の風景を見ることができます。店が協力して雁木を作ることで雪の心配をせずに買い物をすることができます。

 今は、買い物客でにぎわう本町通ですが、江戸時代には参勤交代の道として利用されてきました。加賀藩のお殿様が江戸に参勤交代に行く際にこの道を通っていました。

 お殿様が糸魚川に泊まる場合は、加賀の井酒造の小林家敷地内にお殿様の宿舎「本陣」を置きました。その際、お殿様が加賀の井酒造のお酒をいたく気に入ったことから「加賀」の名前がお酒に付けられたのです。

7.ヒスイの勾玉

 ヒスイ製の勾玉が赤い水受けの上に飾られています。
糸魚川のヒスイは、今から5億年前に地下深くで誕生しました。5億年前というと、まだ恐竜も誕生していない古い時代と言うことになります。
その時代に、ヒスイは温泉水のような熱い水からゆっくりと結晶化して誕生しました。

8.石のまち糸魚川

 海望公園横の遊歩道沿いに、糸魚川で見られる石が時代ごとに並べられています。近くの押上海岸に行くとさまざまな模様や形の石を見ることができるでしょう。ヒスイ以外の石にもすべて名前があり、おもしろいストーリーがあります。糸魚川市は2019年に「石のまち糸魚川」の活動をスタートさせ、糸魚川の石を全国にPRしています。

いしのまち糸魚川

9.奴奈川姫と建御名方命

 奴奈川姫は古事記や出雲風土記などに登場する高志国のお姫様です。その隣には建御名方命(たけみなかたのみこと)の像があります。

 奴奈川姫は、出雲国から求婚しに来た大国主命と結婚し、建御名方命が誕生しました。建御名方命は、長野県諏訪市にある諏訪神社の御祭神となります。出雲-諏訪-糸魚川という古代の神々のつながりは、現代でもこの3地域の交流として続いています。

10.展望台と糸魚川の山々

 国道8号の下をくぐる地下通路を抜けると海岸の展望台に立つことができます。ここからは、海側を見ると遠く能登半島や佐渡島、陸側を見ると糸魚川の山々を見ることができます。

 この場所から見える山に雨飾山があります。この山は、小説家にして登山家である深田久弥が「日本百名山」という書籍を出版するきっかけとなりました。雨飾山が無ければ日本百名山は誕生しなかったと言えます。

11.糸魚川大火の爪痕

 糸魚川の中心市街地は2016年に大きな火災に見舞われました。糸魚川地形が関係した強い南風により多くの家屋が延焼しましたが、消防や警察、住民の協力により死者は出ませんでした。

 北越銀行糸魚川中央支店脇にあるこの標柱は、この大火の影響で黒く焦げ惨状を物語っています。付近には、大火からの復興を後押しするために、糸魚川駅北広場「キターレ」があります。

糸魚川駅北広場「キターレ」

12.八福神のお姫様

 七福神は、古くから福を呼ぶとして信仰されてきた神様たちのことです。それでは、八福神とはどんな神様が1人増えたのでしょうか。それは、よく船を見ると答えが分かります。

 七福神の神様たちの中央に女神さまがいますが、彼女こそ奴奈川姫です。このモニュメントを作る際に、七福神に奴奈川姫を加えて八福神としたのです。ちなみに、七福神の一人である弁財天は、糸魚川市能生の弁天岩の御祭神となっています。