ヒスイに関係の深いエリア

市振エリア ヒスイと化石と芭蕉の宿場まち

概要

 市振は昔、旧北陸道の難所「親不知子不知」の西にあたる宿場町として賑わっていました。市振には関所跡をはじめとする往時を偲ばせる遺物が数多く残っており、小さな町でありながら奥深い歴史を感じることができます。

 市振海岸は県立自然公園になっており、白亜紀の火山岩でできた山が海岸線までせまります。背後の山々には、蛇紋岩・来馬層群・手取層群などの地層が分布します。海岸は砂利浜であり、水磨された岩石組織が明瞭な手標本サイズの礫で埋め尽くされ、とくにきれいなヒスイを観察することができます。約20年前に地すべりが発生し大きな被害を受けた玉の木地区を経て境川へ出ます。新潟・富山県境の境川からは来馬層群の砂岩や泥岩が運ばれてきます。とくに黒い泥岩の中には、二枚貝化石・植物化石・アンモナイト化石などがみつかります。

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ジュラ紀の化石 市振(いちぶり)海岸 海道の松 桔梗屋跡(ききょうやあと) 玉ノ木地すべり 市振(いちぶり)の関所跡 道の駅「越後市振の関」

1.市振海岸


ヒスイ探し

 約1億年前の恐竜時代(中生代白亜紀)の火山岩でできた山が、海のすぐ近くまでせまっています。海岸には、糸魚川や富山の山から流れてきた、さまざまな小石があり、運が良ければ美しいヒスイに出会えるかもしれません。

2.海道の松


海道の松(初代)

 昔の北陸道・市振宿の東にあった松で、高さは約20m、樹齢約230年といわれ、親不知の難所のスタートとゴールの目印として、旅人に親しまれていました。
初代の松は2016年の台風で倒れ、現在は2代目の松が植えられています。

3.桔梗屋ききょうや


桔梗屋跡

 俳句で世界的に有名な松尾芭蕉が、江戸時代(1689年,元禄2年)に、奥の細道紀行の途中で泊まった宿「桔梗屋」があった場所です。この時に芭蕉が詠んだ句の石碑が、市振の長円寺に建っています。宿は1914(大正3)年の大火事にあい、現在は残っていません。

4.玉ノ木地すべり

 1985(昭和60)年2月15日の夕方、長さ110m、幅70mの地すべりが起き、10人の尊い命が失われました。3年後、地すべり防止の工事が終わり、慰霊碑と復興祈念碑が建てられています。


災害跡地の公園にある慰霊碑

5.関所跡と関所えのき

 関所は1624(寛永元)年頃に、幕府の命令で設けられました。通行人の検問のほかにも、海上監視の遠見番があったとされています。関所は明治2年になくなりましたが、関所の目印として植えられた榎は、市振小学校の校庭の真ん中に今も残り、地元の人はとても大事にしています。


関所の碑と関所榎

道の駅「越後市振の関」


 国道8号沿いにある道の駅です。東日本と西日本で、味やデザインが異なる商品を買うことができる穴場です。

長円寺の芭蕉の句碑


“一つ家に 遊女も寝たり 萩と月”

 松尾芭蕉が、この地で詠んだ句を刻んだ石碑です。1925(大正14)年に建てられ、碑文は糸魚川出身の文人・相馬御風により書かれました。

市振エリアへの行き方

出発地: 目的地:
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